Topics 1 Valuable Lesson I Got From an Exchange Student By Ms. Donna Maretta
Ariestanti
1. The power of dream.
1-1 I learn the importance of education and the power of dream from my
parents.
私の両親は教師だったので、教育が将来にとってどれだけ大事なのか又、それが夢の達成に導いてくれるものだと言うことを幼少より教えてくれた。
1‐2 Dreaming of joining student exchange program when I was a child.
小学校の時に姉からハイスクールの留学生のプログラムについて聞き、いつの日かそのプログラムに参加したい、そう夢見た。
1-3 I was selected as one of Indonesia's representative for student exchange
program to Japan.
ハイスクールに入った時にそのプログラムがあり、何も考えずにすぐ応募した。 何度かの選考があり、国の代表として選ばれ、日本に来た。インドネシアの人にとって海外で学ぶことは夢だが、費用が高く実現不可能だと思う。しかし、このプログラムは奨学金をもらえるので何も費用はかからなかった。私は当時16歳、そんなに若い時に海外で学べるとは思わなかった。しかも自分の努力で実現した。それ以来、私は自分の夢を過小評価しなくなった。夢は希望であり、希望はあなたに情熱をもたらす。
2. My student exchange experience: The beauty of diversity and tolerance.
2-1 My experience as an exchange student in Japan.
当時、私は日本の文化、食べ物、言葉、自然や人々について何も知らなかったし、一番大変だったのは言葉だった。私が喋れないので、周りに人が努力してくれた。ゆっくり喋ったり、ジェスチャーをしたり、時に絵を書いてくれたりした。"OK。わかった。"
と言いながらも実際には分かっていなかった。数が月後には、私の日本語は劇的に進歩したと感じた。その後も時を経るにつれて、良くなっていった。 ラマダン(断食)の時、夜明けから日没まで食べないで私が病気になるのではないかと、ホストファミリーは心配してくれた。私は 小さい時からやっていて慣れていたし、貧しい人、食べられない人の状態を経験していると、始めは日本語で充分説明できなかったが、その後できるようになり、彼らが理解してくれた。先生や友達やホストファミリーが、私が色々理解できないという状況を分かってくれて、それを考慮に入れてくれ助けてくれた。
2-2 Understanding the beauty of diversity and the importance of tolerance.
私の留学生経験は楽しいだけのものでなく、山あり谷ありだった。悲しいこと、ホームシック、カルチャーショックもあった。しかし、それらは私を成長させ快適な場所comfort
zoneや私の文化から私を連れ出し成熟させてくれ、より独立心を持たせてくれた。これらの経験が私に寛容toleranceをもたらした。 私自身はこの国の人がインドネシアと言う異文化を理解することの手助けになったと思う。私自身も含めて、以前は知らなかったbeing
difference, not same と言うことを学んだ。 そして自分自身を知り、他人を知る。ステレオタイプで他の文化をネガティブに見るのでなく、お互いを尊敬しもっとよく知ると、お互いの文化がネガティブなものでないとわかり、受け入れることができる。その意味で、留学生制度は世界の平和を促進するとても強力なやり方の一つだと確信した。世界は私のhomeだ。
その後、質問を含むオープンディスカッションに入った。
■■ Q&A ■■
Q1 来る前に日本のことを勉強したのか?
A オリエンテーションがあり、文化のことは少し言葉も挨拶を教えてもらったが、実際に来てみたら忘れてしまい、混乱した。
Q2 日本ではどこに住んでいたのか?
A 稲城市に住み東京の青山学院高校に1時間かけて通った。(満員電車での通学は)とても疲れたが、面白かった。
Q3 どうやって日本語を勉強したのか?
A 1年間普通に日本の学校に通ったので、全て日本語と言う環境で他の選択肢はなかったので、理解してなくても、とにかく喋った。
Q4 大学では、英語でレポートを書くのか?
A 東工大に今、インドネシアからだけでも80人の留学生が来ている。とてもインターナショナルな大学だ。授業やレポートは英語を使う。レポートは日本人も英語でも日本語でも提出できる。私は、日常会話は日本語を喋っている。
Q5 日本で最もstrangeなことは?
A 電車だ。押す人が専門にいて、(満員電車に人が入れるように)押す。京王線で渋谷まで行き、乗り換えて青山まで通い、大変だったが、interestingだった。
Q6 英語はとても上手だが、どうやって覚えたのか?学校だけで覚えたのか?
A 学校だけだ。父は小さい時からいつも"英語を学びなさい。"と言って、家でディズニーの映画を見せてくれた。小さいから英語そのものは分からなかったが、画面を見てなにが起こっているのかは理解できた。小学校に入って英語の授業があり、(その映画のお陰か)自然に喋れるようになっていた。親のお陰だ。
Q7(ベアタさんから) ドンナさんは日本のどういう処が一番好きか?自分を日本化japanise していると思うか?
A 良い点は日本は科学技術が発達した便利な国であり、お互いを尊重して他人を第一に考えていると思う。マナーの良い国でありいつも行列をして並んでいる。昨年の震災後の被災地でも整然と並んでいた。私も並ぶようになった。他の国に行ったら、(私がどうするか)分からない。日本にいる間は、japanise
していると思う。
Q8 私はイスラム圏のエジプトに住んでいたのでイスラムに興味があり、そこでラマダンやコーランを見て来た。貴女はコーランをアラビア語で読むか?
A コーランはアラビア語で読みます。インドネシア語や英語でも読みますが、アラビア語読む(詠む)よう躾けられ、実際に私も読めるけれど、よく理解できない。
Q9 私は3歳の子の母親だが、貴女が16歳で日本に来ることになった時に親はどう思ったか?又、こんなに長くいることもどう思っているのか?
A 私が16歳で来る時には親としては心配はしたろうが、教師としては独立心を持つよう育ててくれたので、一人でも大丈夫だと思っただろう。母は小さいころ私に厳しかった。
今はスカイプやfacebookなどがあるので、いつでもコミュニケーションが取れる。
Q10(ベアタさんから)ドンナさんは英語や日本語やその他沢山の言語を知っているが、日本語は難しくないか?
A 私はお喋り好きで人と逢うのが好きなので、喋る方は問題ない。漢字は難しい。今日覚えても使わないから明日忘れる。私が言葉を学ぶ理由の一つは喋りたいからで、人と付き合って友達を作るためだ。
Q(モデレーターからベアタさんへ)貴女は漢字はどうですか?
A(ベアタさん)私は漢字は難しいとは思わないし、気にならない。むしろ、漢字が読めるようになると嬉しくなる。しかし、日本語の挨拶は英語と違い様々な表現があり難しい。久しぶりと、いわれて、何の ぶり と、驚いた。
Topics 2 Living on the boarder: Poland-Germany, EU-Japan By Ms. Beata
Gibowska (Poland)
1 How Poland changed during my life span
1-1 A socialist country underthe Soviet influence when I was a baby.
80年代、私が小さい時はポーランドはソ連の影響下での社会主義だったので、皆が仕事を持つべきだったし、平等に給料をもらっていた。しかし、物資は充分でなく、砂糖を買うのに人々が並んでいたことを思い出す。"
1-2 Change to democratic republic when I was a kid.
90年代には、政治運動でなく工場労働者の運動、"連帯"ソリダノスが起きた。この給料では家族を養えない。と、ワレサ ヴァウェンサをリーダーとして立ちあがった。そして、民主共和国になり、彼は初代大統領になった。又、彼はノーベル賞を受賞している。未だこの時代では、ドイツの大学に通うのに学生ビザが必要だった。
1-3 Becoming a member of the European Union when I was a student.
2004年には、EUの一員になった。
2 Influence of the changes 2-1 How my generation got influenced by the
political changes.
EUの一員になった後は、パスポートなしでIDだけでヨーロッパを行き来できるようになった。 ドイツの大学は無料で、特別の許可もなくドイツで働くこともできるようになった。
2-2 How the border between Poland, Germany, and other EU-States almost
`disappeared`.
私の小さい時の夢はスチュワーデス(当時の呼び名)だった。何故ならスチュワーデスなら、(世界中を)旅行できると思ったからだ。現在の私の夢は世界中の国境がなくなり、ビザなしでどこでも行きたい所に行って、そこで働き、その国に税金を払うようになれば良い、と思っている。
■■ Q&A ■■
Q1 日本から遠く離れたポーランドの言語や文化などを教えてください。
A ポーランド語は、日本語とも英語とも大変違っている。(実際に喋って見せて)シィ と言う発音がやたら多い。一種のスラブ語でロシア語やチェコ語にちょっと似ている。
ポーランド人はある種、日本人と似ている。大変手厚く人をもてなすhospitableだ。ドイツ人よりもその点もっとhospitableだと、思う。
食べ物は肉をよく食べる。日本では新鮮な野菜を沢山食べるので、食事の後は重く感じないが、ポーランドに帰ると肉を食べて5kg位体重が増える。肉は牛だけでなく、馬など何の肉でも食べる。
宗教は98%がカソリックで、毎週日曜は家族で教会に行く。結婚前に同棲したりしない。離婚も他のヨーロッパの国に比べて断然少なく、あまりしない。
教育に対しては強い政策をとっている。教育は無料であり、大学では成績によって金額の差はあるものの、全学生が奨学金を受ける権利がある。
Q2 ポーランド人は、昔の社会主義の生活と今の生活とどちらが良いと思っているか?
A "以前は働いても仕事中に寝ていてもお給料をもらえる権利があった(笑)と、昔を懐かしむ人がいるのは事実だが、しかし大多数は現在の方が良いと思っている。
Q3 (ドンナさんから)1990年に何が起こったか?どんな運動だったのか? 特に前のリーダーは、どうなったか?
インドネシアはそれより何十年か前にある種の民主化運動が起こったが、混乱chaosになった。その運動は自分の言いたいことが言えて国家の弾圧がない自由を得たいと言うものだった。実際は行き過ぎて容認できないout
of line 状況で、あまりにも自由を求めすぎ、自分の権利ばかり大事にし、他人のことを考えないものだったが、ポーランドはどうか?
A それは特別なことではないと思う。第2次大戦後、ソビエトが勝ったのでその大国の社会主義の影響があったが、今はソビエトが崩壊し、多くの小国では反乱を起こし、ポーランドでは 連帯 が蜂起し、ベルリンの壁が壊れ、チェコやその他の多くの国で、自由化運動がおこった。ポーランドでは社会主義は自ら起こしたものでなく、ソ連から導入されたものだった。
Q4 ロシアではソ連崩壊後、子供たちが将来は銀行家かマフィアになりたい。などと、本気で言うほど価値観が変わってしまったが、家族を大切にしていたポーランドの価値観は変化したか?
A私の価値観は、ずっと変わらず、私にとって一番大切なものは、家族だ。変わったものと言えば 10代の頃、今のように海外に行ったり、英語を流暢に喋ったりできるように為るとは思わなかった。当時ポーランドには、良い英語の先生はいなかったし、アメリカ人やイギリス人は社会主義の国には住んでいなかった。ポーランドは閉じていた。連帯"ソリダノス"のお陰で、国境を開けた。
私の価値観は、変わっていないが、英語を喋れるし、もう少しで日本語もそうなる。もし、社会主義が続いていれば、わたしはもっと静かで、満たされない思いでいただろう。
意見1(会場) ポーランドと隣国ドイツの関係について私には良くないとの印象がある。歴史的に見てドイツは大国であり、時には粗野な振る舞いがあったので、多くのポーランド人はドイツを恐れているように思えるのだが、貴女は両国の境で生まれたので、両国の仲介者になって働いて欲しい。
A 私は平和主義者だ。我が国は第2次大戦中には西側からドイツに、東側からロシアに侵略された。両国とも大国であり、ポーランドでは多くの人が死んだ。第2次大戦が終わり、ドイツは負け、その影響力を失い、勝ったロシアは影響力を増し、その影響で我が国は社会主義になった。ポーランド、特に東側に住む人はロシアにネガティブな感情を持っている。ドイツとの不幸な歴史はあったものの今はとても良くしてくれている。私はドイツから、他の多くの人と同様、色んな種類の奨学金を同時に貰っている。若い人はドイツとのネガティブな過去のことは考えていない。
Q5 今年(サッカーの)ユーロトーナメントがポーランドで行われるが。
A そうポーランドとウクライナとの共同開催である。
意見2(南アフリカ育ちの青年)貴女は、社会主義と民主主義の両方を見て、その恩恵を受けている世代だ。ある世代は一生民主主義を経験できないし、ある世代はもっと年を取ってから、やっと民主化される。
A 貴方の言われるように恩恵、特権があると思うが、同時に責任を感じる。私の両親は、一生懸命に働き、3人の子を持ち、今は年老いたが、貯金はない。彼らがいつも子供に投資してくれたお陰で、我々は皆良い仕事に就いた。今私たちは親を支えているし、私はそれができることを嬉しく思う。
Q6 貴女の学ぶドイツのベルリンにあるフンボルト大学は日本研究の中でも何を専門としている大学か?
A フンボルト大学は日本のメディアと現代文化そして、とても古い日本語を専門としている。私も古い日本語(古文)を勉強したし、大変難しいテキストを読まなければならなかったので読み、テストをパスした。我々は翻訳に重きを置いていて、私のテーマは映画の〝楢山節考"(木下恵介監督)の翻訳だ。古い日本語、古い考え方、伝統的な考え方を理解するのは難しい。多分理解はできるが、翻訳するのは不可能だ。その不可能に挑戦した。
Q7 源氏物語はどうか?
A 源氏物語はストーリーは好きだし素晴らしいが、訳すのは私には難しすぎる。
Q8 貴女は美しい衣装を身につけているが、それはポーランドのものか?特別な時につけるものか?
A (ストールを外して拡げて見せながら)これはポーランドの民族衣装の店で買ったもので、いつでも好きな時につけている。ポーランド的であり、スラブ的なものでロシアでも同様のものがある。
Q9 ご両人に聞きたいですが、アニメやゲームなど日本文化は若い人に人気があると聞いたが? A(ベアタさん)ポーランドでは寿司が好まれるし、日本のマスメディアや浮世絵のビッグコレクションもあるし、日本文学もよく知られている。良い翻訳家もいて川端康成や大江健三郎をポーランド語で読める。マスメディアとハイカルチャーの両方が存在する。
A(ドンナさん)インドネシアではAKB48のインドネシア版JKT48がある程日本のポップカルチャーは人気がある。日本語を勉強する生徒も多い。沢山の寿司屋もあるし、コスプレは日本より流行っている。
モデレーターからは"他の人生のことでもすべてそうだが、どこでも民主化や自由化は良い点と悪い点の両面が存在する。今日はお二人ともご自分の夢について語られ、それを実現しようと努力していることが分かった。会場の高校生もその他若い人も、いえ若くない人(笑)も、夢を実現するよう英語の勉強を頑張って続けて欲しい。"と、励ましの発言があった。
■■ 所感 ■■
10代から70代、男女ほぼ同数の参加者があった。始めにモデレーターが高校生の発言を促したことや3人の出演者の雰囲気が和やかで楽しいことで、若い人が発言しやすい雰囲気ができ、その後年配の方からも多くの質問や意見が出て、楽しく興味深い会になった。(瀬戸信代)