セッション-1- 「コスタリカの英語教育について:私の場合」

セッション-2- 「タッチング」


ヘザー池田さん

Moderater: ヘザー池田さん

日本在住20数年。英語A教室の講師を務めていただいています。休日は読書、映画観賞や自転車でサイクリングに出かけるなど、 自然と親しむ生活を楽しみ、お寿司や抹茶などが好きな素敵な先生です。

エレーナさん

Presenter: Ms. Elena Quesada Diaz from Costa Rica

中南米の美しい国コスタリカで、ある中流家庭の4人娘の四番目として生まれました。経営学、マーケティング、教育学を学び、12年間にわたりスペイン語を中心にいくつかの科目を教えてきました。読書と印象派の展覧会を観てまわることが好きです。夢は長いスローライフの休日!

トムさん

Presenter:Mr. T. Tiscornia from New York, USA

ニューヨーク市の川向こうにあるニュージャージ州のHoboken生まれ。(フランク・シナトラが生まれた町です!) 大学での専攻は異文化音楽。アジア、中南米各地を旅行してストリート音楽を集めてまわった。日本では25年にわたり英語を教えている、妻と13歳の息子さんと東京に在住。


セッション -1- English education in Costa Rica : My case (by Ms Elena Quesada Diaz from Costa Rica)

エレーナさんは"私の国、コスタリカは中米に位置し発展の速度はそんなに早くないが、近代的な国家だ。ずっと以前は小国同士の多くの戦争があったが、60年前私の国は軍を放棄しそのすべてのお金を教育につぎ込むことを決めた。国として、英語教育を始めたのは1845年だった。

私自身は、英語圏に行ったことはないし、ネーティブの域には達していないけれど、それでもコミュニケーションはとれる。日本に来て、 "ああ、私は英語が喋れる。私は生きていける。これなら、世界中どこへでも行ける。何があっても英語を話せば助けてくれるし自分も人を助けられる。" と思った。

自分の受けた英語教育を思い出すと、義務教育の時も大学の時もネーティブスピーカーの先生はいなかった。私はずっと公的教育を受けて来たけれど、公立教育の資源はお金も人材も限られていた。しかし先生たちはきちんと良い授業の準備をしてくれ、授業の時には英語しか話さなかった。

私の時代は、英語教育は12歳から始まった。私の次の世代は6歳からになった。私自身はそれは早すぎるのではないかと思う。

私が学んだ英語は、唯、学校と自分で勉強しただけ。公的な英語教育に関してはあまり日本とコスタリカと変わらないと思う。当時週4時間の授業だった。又、コスタリカにも日本と同じくらいの量のプライベートの英語の学校(英語アカデミー)があるが、ほとんど全て非ネーティブの先生のレッスンであり安く受けられる。

公立教育の英語教育を思い出すと、いくつかの特徴が考えられる。
1 先生はとてもフレンドリーだった。若い先生も若くない先生も、クラスの内外で何時でも喜んで助けてくれた。又私たち生徒にだけでなく、他の教科の先生が必要な時や学校行事の時も翻訳が必要なら、いつでも助けてくれた。

2 クラス内では英語しか使わなかった。私たち生徒が理解できてもできなくても、関係なく英語で話した。 クラスの最後の5分は、母語であるスペイン語で授業の内容を要約してくれ、宿題に関しても皆が理解してきちんとやってくるようにスペイン語で説明した。

3 ハイスクールでは年齢に応じて、興味深いトピックや将来の職業の為になるようなトピックを選ぶよう努力してくれた。宿題や研究課題に関しては、自分が一番やりたいトピックの英語でのプレゼンテーションをさせてくれた。

4 教科書に関しては、先生は家で教科書のことを調べて、授業の終わりにスペイン語でそのことを説明してくれたが、授業中は使わなかった。本代は高いので必ずしも買うことを強要しなかった。

5 先生は教科書以外に様々な教材を使って教えてくれた。ニュースのビデオや映画を見たり、英語の歌を歌ったりしたし、英語でのイベントもしてくれた。

英語教育は、学校だけのものではなく、家でも、社会でも学ぶものだし、終わりのないものだと思う。コスタリカでは、英語を流暢にしゃべる人口は10%だと言われている。今、多国籍企業が入ってきているし、好むと好まないにかかわらず、国の発展に外国企業が必要だと思う。その為に政府は2017年の新卒の大学卒業生が100% 2ヶ国語(母語と英語)か、3ヶ国語(スペイン語、英語、フランス語)が話せるようになるような政策を進めている。

英語や他の外国語を学ぶと言うことは、外国人の友達がいなくとも、英語が必要な仕事につかなくても、良いことだと思う。あなたの頭と心の健康に良いと思うから、一緒に続けましょう、と締めくくられた。

■■ 会場からの質問や意見 ■■

会場から(若い人)意見:

日本人は英語で話すようになるのは難しい。良い教科書はあるが、生徒は先に単語を見てから聞いて、話す前にも単語を見てしまいます。メディアも字幕が出るので先に目に入ってしまい、聞いて英語だけを理解しようとしてもできない。

エレーナさんから:

私は、今 NHKの午後7時のニュースを英語で聞いてニュースの内容を理解し、夜9時のニュースは日本語で聞き日本語を勉強している。だから、あなたはその反対に、7時に日本語で聞いておき、9時のニュースでその英語表現を学ぶことができる。

参加者から質問:

あなたの家族は、あなたの様に英語を流暢に話せるか?

エレーナさん:

コスタリカの中年は、あまり英語をしゃべれない。同級生もそんなにはしゃべれない。私は英語の勉強をしたいと言う欲求が強かったので良く勉強した。仮にもし英語が好きでなくとも、学ぶべきだと思う。何故なら我々の人生にとって有益であるから。私は母に感謝している。母自身は英語を話せなかったが、私が7歳から、始めはスペイン語の勉強、のちには英語の勉強を家で1日1時間するよう躾けた。どんなに宿題があってもそれ以外にそれをするようさせた。これはとても良かった。
最後にエレーナさんは、日本人はパーフェクトに喋ろうとするから喋れなくなるという点で、他の国の人々から遅れている。との指摘があった。



セッション -2- Culture and Touch (by Mr. T. Tiscornia from America)


トムさんは、25年前に日本に来る前に日本について勉強して心の準備をしてきた。
世界には、high touch cultureとlow touch cultureに分かれている。人類学者が、フランスとアメリカのコーヒーショップでのカップルを観察した結果があったが、それによると、30分の間にパリのカフェでは、平均100回以上、体の一部をタッチしたが、アメリカのマイアミでは平均2回だった。又、学校の遊び場で遊んでいた子供の調査をしたら、フランスの子供はその時間の23%はタッチしていたが、アメリカの子供は、その時間の2%だった。

アメリカも日本もlow touch cultureだから、大丈夫、快適だと思ってやって来た。しかしlow touch cultureでも、アメリカはさまざまな局面でタッチするが、日本人はしない。それが分かるまで時間がかかった。

10年前までは学校に勤めていたので同僚や友人に外国人がいたのでタッチがあった。しかし10年前に学校をやめて家で英語を教えるようになり、同僚はいなくなり古い友人もだんだん帰国して、気が付いたら自分の周囲には日本人しかいなくなった。それはそれで日本人は好きだから良いのだけれど、もはや、"こんにちは!"のハグや、"さようなら"のキスをしなくなった。日本人は基本的には自分の愛着のある物や人にタッチしない。それにも慣れてしまってそれが普通になった。しかし、東京へ出かけて行って外国人同士がハグしているのを見ると"なんと不思議な習慣" などと思う。 "何でそんなことするの?" とも思った。

しかし、5年前生徒がアメリカに行き4年経って帰って来た。そして会った時に、ハグされて驚いた。4年間で彼女はアメリカ化し、私はハグを忘れ、どうやってハグするのか?分からない人の様になった。私は自分のことがちょっと気になってきた。

high touch cultureであれ、low touch cultureであれ、それぞれタッチして良い場合とそうでない場合の多くのルールがあるだろう。男性の場合は、簡単に女性にタッチしてはいけない。なぜならセックスを求めていると思われるだろう。男が男の人にタッチしてもされた方が、"もしかして、セックスを求めているの?" と思われるかもしれない。

では家族ではどうか?アメリカでは家族はよくタッチする。日本では自分の息子とはタッチするが、妻は私とはタッチしない。それは彼女の性質からか?周囲を気にしているからか、わからないが、日本人の家族は、あまりタッチしないようだ。結婚したカップルもあまりタッチしない。子供はお母さんとある年齢になるまで良くタッチしているようだ。

私が調べたら、体をタッチすることと精神の健全や体の健康には、関連があるようだ。西洋人にとっては、タッチは重要だ。
日本人にとって、タッチは重要なのかどうか? 皆さんの考えを聞いてみたい。 と、語られた。

会場から意見:

テレビで3・11の震災後、津波や放射能汚染で避難している人に90歳の尼僧瀬戸内寂聴さんが、元気づけに行っているのを見た。彼女は"今回はお説教や講話はしません。皆さんが心に抱えていることで、今まで言えなかったことを聞かせてください。” と言ったが、避難者の口は重かった。だが、一人最前列の女性が小さな声で "抱きしめてもらえませんか?" と、乞い、瀬戸内さんはそれに応じた。その時、それまで無表情だった女性は涙を流し、"ありがとう。ありがとうございます。" と、言った。このような余りにも大きな苦難にあっている人は、文化に関係なく抱きしめることは重要な役割をしていると感じた。

会場から意見:

私はタッチは我々の人生の大変重要な要素だと思う。タッチは社会のマナーや習慣と言うよりも、基本的には愛に基づいた表現だと思う。それ故に、異性とのタッチは愛の表現として大切だと思う。しかし、私はそうすることにためらいがある。特に公共の場では。

しかし、近頃は愛情の表現と言うより、思いやりの表現として、その必要性を感じている。私の妻は年をとり、肩がこる。だからその肩をもむ。私は年をとったカップルが手をつないで外を歩いているのを見ることがあるが、それは美しく自然だ。これは思いやりの心からだろう。

最近、卓球のパートナーをした中年女性が、感謝を表してごく自然にハグをしようとしてくる。私はまだ、恥ずかしいと感じるが、これは小さい変化だけれど、日本での現在の新しいトレンドだと思う。

会場から質問:

日本人と結婚しているモデレーターのへザーさんとエレーナさんに質問しますが、ハグやその他の愛情表現をしますか?

へザーさんから:

子供や主人にしょっちゅう、I love you. と言う。

エレーナさんから:

high touch cultureの国から日本に来た当初は、主人との距離を感じて話し合った。家の外では主人がそうしようとする時だけ、抱き合う。家の中ではそれはもうhigh touch cultureのコスタリカ式で、私のやり方でタッチする。ふふふ と答えた。

会場から意見:

日本はhigh context cultureで、ハグしたりしない。その代わり日本では、お中元やお歳暮やお年玉、会社を訪れる時でもお土産を持参したりして、お金を使って好意を表す。

ここで、モデレーターでアメリカ人のへザーさんから:

high context cultureと言う言葉は知らない。それは何か? との質問が出た。

トムさんから:

文化人類学の概念・用語で、何かを話す時にその背景を詳しく説明しなくとも分かってくれるのが、high context culture。詳しく物事を説明しないと通じないのが、low context culture. と、教えられた。

次に、 モデレーターから:

子供を育てる時に、タッチをすることが大事だと思うが、どうか?"との質問が、参加者に投げかけられた。

会場から意見:

外国と比べて日本の父親は赤ちゃんとのスキンシップには、戸惑いがある。だけど最近の若い親はそうしようとしている。私のような古い人間は、子供ができた当時はタッチやスキンシップが大事だと思わなかった。"

会場から意見(シリアの男性):

シリアは、男と男はよくタッチするし、女と女は(頬に)キスをする。その他の振る舞いはlow touch cultureだと思う。日本の方がオープンな気がするが、日本でシリア式のあいさつをしたら、きっとゲイだと思われるだろう。"

会場から(女性)意見:

2人の息子(中学と高校)がいる。この子たちが小さい時はよく抱きしめたし、私の膝に座ってきた。しかし、今私が触ろうとすると逃げていく。彼らはもうタッチしない。それで私は犬を飼ってペットとして可愛がりいつもハグしている。

会場から(若い女性)意見:

先の女性が話したような思春期については、スピーカーの国ではどうですか?

コスタリカのエレーナさんから:

思春期はどこでも同様なのかもしれない。小さい時からタッチすることを学び、家の外でも中でもタッチするのに、娘は特に思春期には父親とタッチしない。

アメリカのトムさんから:

私の13歳の息子はオープンでタッチするが、アメリカでも日本と同様普通の10代は、あまりタッチしない。違うのは大人になってからで、アメリカでは大人になって(親に)タッチするが、日本ではタッチしない。アメリカではタッチしないと何かあるのではと詮索される。
など、様々な質問や意見が出て、文化によるタッチに対する違いが明らかになった。
今回も国籍、年代 性別を超えた交流があった。(瀬戸信代)

会場風景
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