1 Immigrants in Australia(by Ms. Deborah Lee from Australia)
マレーシアで生まれ、4歳の時に韓国出身の両親と共に移民したオーストラリアで育ったスピーカーがオーストラリア移民、特に韓国系移民についてと彼女の経験とを語った。
オーストラリアは多民族国家で、1973年に白人優遇政策が廃止されて以来、移民が増え続け、現在その人口の四分の一は海外生まれ(移民一世)であ り、多くはNZ、英国。他はインド、中国、そしてアジアの他の国からで、アジア人は人口の10%に達する。2011年6月19日現在のオーストラリアの人口は、2,260万人である。 2006年の統計では、150,873人の韓国の子孫の人がいて、52,760人が韓国生まれであり、59人の北朝鮮生まれである。その韓国系の38%の 人が市民権を持っていて、68%が1990年以降に移民した。又その63%の人がNew South Walesに住んでいる。
A 移民する理由
- 教育
韓国では夜10時まで学校で勉強させるほど過熱気味だが、オーストラリアでは、そんなことはない。
- 生活のバランス
両親は働きものだったが、それでもオーストラリアでは、子供を水泳や音楽のレッスンに連れて行き、ビーチに行ったり自転車の乗り方もしえてくれた。
- 熟練技術者に良い機会が与えられる
韓国と比べて、熟練技術者が高く認められているし、仕事を頑張れば自分でビジネスを始められる。
B 韓国系オーストラリア人としての経験
- 食生活のこと
親は韓国式キムチお米の生活を強いるが、自分はオーストラリア式の食事が良かった。
- 親が英語で他の親とコミュニケーション出来ないことを受け入れなければならなかった。
- 土曜日の韓国語学校へ通ったこと
(本来休日の土曜日の勉強は嫌だったが、後に韓国の文化に親しみ、韓国の祖父母や親戚とコミュニケーションできる源になった)
- 親が必要とする英語の書類の翻訳をしたり、学校でのミーティングでも通訳しなければならなかったこと
(流暢に英語をしゃべっても子供だから、わからないこともあった)今、両親は英語を話し、旅行も楽しんでいる。
- Identity confusion(アイデンティティーの混乱)
小学生の時は自分がオーストラリア人だと思っていたが、ハイスクール時には親が韓国出身つまりは自分の出自を意識したが、私はオーストラリアで生活し、オーストラリア人と結婚し、オーストラリアで死ぬと思っていた。しかし大学時代には少しずつ自分の中のオーストラリア人の面と韓国人の面を受け入れる様になった。何かをする時に自分が持っているidentityは関係ないと思うようになった。
Q1 オーストラリアで、あなた自身が差別を受けたことはあるか?
A1 自分の住んでいたニューサウスウエールズでは一切なかったが、田舎の方に行くと指さされたことはある。日本では一切ない。
Q2 私の思うオーストラリアの"No problem!"と韓国の"Never give up" 考え方の違いについて、どう思うか?
A2 何か問題に直面したら、いつもどちらのやり方をするか考えて、その時々で切り替えている。ある時は"No, no problem もう良いよ!"、ある時はプライドを持った韓国風の考えで""Never give up"と、諦めないでやる。
Q3 御両親は韓国から来て苦労して育ててくれたと思うが、両親への恩返しについてどう思っているか?
A3 自分が大きくなるにつれて、彼らをちゃんと見なければと思うようになった。今は自分達で暮らしていて大丈夫だけれど。若い時は2人でよく働き、休みも取 らず、旅行もせずにずっとオーストラリアに留まっていたので、今は旅行に行ってもらったりしている。今は年1回帰った時に仕事を手伝おうとしている。
Q4 オーストラリアの白人は未だ相変わらず多数派であると思うが、人種差別はあるか?
A4 正直言うとまだあると思う。国籍によっては雇わないといったことがあるが、そんなによくあることではない。シドニーはアジア系が多いのでそんなにあからさまではないが、未だに隠れた差別があると思う。
Q5 オーストラリアに日本人移民はいるか?
A5 日本人は短期間仕事で来るが、私は移民にあったことはない。ワーキングホリデーで来る若者は多いが、家族では来ない。 その他にも活発な質問が沢山出た。
2-1 Good neighbors (by Ms. Crystal Brunelli from America)
A米国と日本のボランティアの違い
阪 神大震災の時に日本人は自分の家族を助けようとしてそれぞれ個々に車で震災地へ向かい道路が混んで救援の車が動かなかったことを見たが、米国は本来移民の 国で、家族や親戚と離れていたので、近所の人が助け合って生きてきた。災害の時も隣人やコミュニティーを助けようとする。
B 私のボランティア経験
- 子供の頃4H(ガールスカウトの田舎版で野菜や果物を育てる)運動に
母がボランティアリーダーになっていて、自分も参加。
- 大学時代は
普通自分ことばかり考える。"自分は何を学ぶべきか?自分の将来は?自分はどんな仕事に就けるのか?"しかし、私は自分のことだけを考え てもhappyになれなかった。何か欠けていると思った。それでボランティアの説明会に出かけて、異民族(African-American, Chineseなど)が多いボストンで子供向けのAfterschool programに係わって、子供たちに教えた。ここで初めて異文化や、アメリカ社会の問題を学んだ。(自分のいたニューハンプシャーは98%が白人だっ た)この経験で将来絶対先生になるんだと強く決心をした。
- 日本に来て、老人や目が見えない人へ英語を教えた。
自分で探したり、神奈川ボランティアサポートセンターに電話をしたりして、ボランティアを実行し た。
- 日本で子供を持って
母のようにガールスカウトのリーダーになり、娘も参加できた。私が母の後を継いだように、いつの日か娘もそうなって欲しいし、い つの日かコミュニティーにお返しをしてほしい。 日本ももっとボランティア社会になれば、家族だけで負っている負担(子育て、介護など)を共に負い、分担し、もっと楽になると思う。
C ボランティアに必要なもの
- スキル
それぞれの人が持っている色んなスキルを使える
- 興味のあること
母は読書好きなので、図書館で読み聞かせ。父はアウトドアが好きだったので、地域の環境団体へ入り川の清掃。あなたの興味のあることで助けられる。
- (ボランティアをする上で)気になることがあっても
心配しないで、何かをやる!とにかくボランティアをする方法を見つける。
- 時間
ボランティアをしたいのなら、時間がないからと制限しないで、出来る時間でボランティアをして欲しい。
Q1 どうしてそんなにボランテァイ精神が強いのか?
A1 私の場合はボラン ティアは文化の一部であり、その文化が(人が)何をなすべきか教えるもので、ボランティアは私の家族の一部であり、両親がしていたボランティアに私は疑問 を持たなかった。先程、デボラさんがどうやって両親に恩返しをできるかを語っていた(repay your parents、pay back)が、アメリカでは、"pay it forward(恩送り)の考え方がある。私の仕事は受けた恩を直接返すのでなく、次の世代や社会に返していく。これはその文化の考えであり、空気のよう に当然そこにあった。
Q2 欧米のボランティア精神は、キリスト教から来ているのか?
A2 そうです。キリスト教だけでなく、イスラム教やユダヤ教でもボランティアや社会奉仕の教義がある。一方、東南アジアでは儒教があり、親を尊敬し親や家族に奉仕すると言う強い伝統がある。これが違いの一つだと思う。 私は日本がアメリカと同じやり方のボランティアをすべきと言うのではなく、日本らしい隣人としてお互いを助け合うやり方を見つけていけばいいと思う。
2-2 Special Report from Miyagi (by Mr. Masataka Kuraoka)
震 災直後の3月16日から何度も宮城にボランティアに出かけたクリスタルさんのご主人から、スライドを使って報告があった。 "色々な被災者支援のやり方のボランティアがあるが、私たちはスィーツを持っていった。色んな所から寄付してもらったフレンチスィーツやシュウクリーム、 アイスやドーナツなどの他に、他とは一味違ったポトフなども料理も提供した。又、お花(15000本のカーネーション)や、"時には笑いが必要"と感じ て、落語家さんを連れて行ったりもした。又、家具の移動や埋れたイカを掘り出したりする力仕事もした。
まだ残っている問題
- 片付けの問題
その為の人、機械、お金が必要。 震災1ヶ月後、3ヶ月後の統計をみると、阪神大震災と比べて、ボランティアの数が少ない。被害は阪神の時よりも大きいからまだまだ人が必要。
- 高齢者の心のケアの問題
ご存じのように仮設住宅では元の地域の人々との交流が立たれているので、震災後、高齢者の痴呆や自殺のリスクが高まっている。" 最後にクリスタルさんから、"阪神大震災の後の政府の反応はひどかったが、阪神の時と比べると今回の政府の反応はとても良かったと感心した。皆さんは今回 の政府の反応に満足でないと思うが。確かに主人が言ったように、まだまだ震災後の処理が終わったとは思わないし、政府ができる限りのことをなし終えたとも 思わない。しかし、直後の反応は、例えば道路を封鎖し一般の人が通れないようにして、緊急支援の為の車両を通れるようにした。 もう1点、私は日本を離れ ようとは思わないし、今がここに留まり何かをする、その時だと考えている。こここそが私のホームであり、良い隣人(good neighbors)になる必要があると思う。友人が "あなた、ご主人が福島を通って(ボランティアに)行っても平気?" と、言うが、彼がボランティアを し、私が支える。" と、締めくくられた。
今回も10代から70代の男女が集い、参加者の中にも外国人がいて、年齢、性別、国籍を超えた交流があった。
(瀬戸 信代 )