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やさしい英語でディスカッション #27


International Viewpoint through English


日 時 2010年11月14日(日) 午後2時から4時

場 所 青葉区区民交流センター 会議室#5

モデレーター ヘザー 池田 さん(アメリカ出身)
スピーカー1 Mr. Kirt Ways (アメリカ出身)
スピーカー2 Mr. Allan Yeh (台湾出身)



1. Networking towards the future
スピーカーは、Networkingを、アメリカの求職活動に限定して語られた。
“Networkingは、まず自分一人から始まる。そして、友達、先生、親戚と、コンタクトを取り仕事について話し、Networkingをつくる。誰もが今や新聞やインターネットを見るがそれだけでなく、人脈を使うこと。人とは違ったやり方でやる。自己紹介のメールを送る。積極的になる 会社や職を得られる可能性のある人に、手紙を書き、自己紹介をする。電話をして、面接してくれる人と話し、面接をお願いする。
アメリカの大学の調査では、68%はNetworkingを使って友人や親戚に仕事のことを聞き、その人たちに話をして就職活動をしている。残りは新聞や職業安定所や学校内の学生就職指導部や掲示板に頼っているという結果が出ている。怠惰にならずに、面接後もその相手にEメールや電話で、とにかく積極的に、仕事を得る努力をする。”と語られた。
その後の質問や意見は年配の参加者人からが多く、アメリカ式就職活動に興味をもたれた質問が多かった。出された意見の日本の就職活動への現状認識は、少し現実からは、ずれているものもあった。最後に若い人から、Networkingは、求職のためだけでなく、仕事に就いてからも必要だし、又、趣味やスポーツを通してからも得られるとの発言があった。

2. South Africa
1990年から2004年南アフリカ(以下南ア)に在住したスピーカーは、丁度時代の変わり目に、学校生活を送った。
まず、1990年南アの中華学校に入り、その後現地の学校に入った。生徒のほとんどがヨーロッパ人だった。その他は一人の日本人とスピーカー(台湾)だけだった。当時はアパルトヘイトの時期でもあり、皮膚の色・出自で、行ける学校や仕事は法律で決められていて、その後の人生も決まった。その2年後、初めて新しい生徒2人(黒人)が入ってきた。それが特別なことだとは、当時気がつかなかった。
そしてハイスクールに入学後、の1994年27年間政治犯だったネルソン マンデラが、選挙で大統領に選ばれた。彼は就任後、全南アを一つにしたいと語った。この国は当時15%のヨーロッパ系住民が2台の車を所有し大きな家に住むと言う裕福な生活を送っていたが、残りの人は大学へは行けず、人力として庭師や炭鉱夫や工場労働者としての生活を送っていた。 

しかし、彼が大学入学後には、色々な階層の人が大学にも入ってきた。又、大学院にいるころには学校で生徒に教えた経験も持つが、生徒は色々な人種、多くは黒人であり、数年前には考えることもできないことを経験した。2005年にはこの国を離れ、他の国の人がこの国をどういう風に見ているかを知った。というのは、南アにいた時には、アパルトヘイトについては、一切学校で教えられなかった。今や、南アはさまざまな人種が一緒になり、rainbow nation と呼ばれている。

Q1 首都が3つあるのは、それぞれが自治権を持つのか?
A司法、立法、行政が、それぞれの首都に分かれているだけで、一つの政府である。

Q2 貧困地域の電気や水道設備などは普及したか?
A電気や電話設備、水道設備は、徐々に普及している

Q3 選挙後、犯罪は良くなったか? 
A犯罪は増えていない。
意見:アパルトヘイトは良くないが、唯一良かったのは南アは(アパルトヘイトへの制裁のために)石油の輸入が出来なかったので、石炭から石油を作る技術が発達した。
A技術の発達と言えば、世界で初めての心臓手術を手がけたものその時代の南アだ。

Q4 機会均等は進んでいるか?

A全ての種類の差別を撤廃しようとしていて、Affirmative Actionが取られている。
社会状況は、良い方向に向かっている。犯罪率は良くなり、未だ収入格差はあるものの、お互いを受け入れることを学んでいる。又、他のアフリカの国で見られる国内紛争はない。皆とても楽観的だ。大学を出て海外で働いても、又祖国に戻ってくる。自分は50%台湾人であり、50%南アフリカ人で、自分自身は南アフリカ人としてのアイデンティティーを持っている。色々な制度は変革にかかると見積もった期間より早く変化しているし、暴動もないし、国力を増している。

Q5 同じアパルトヘイトを行っていたローデシア(現ジンバブエ)とは違っているが、どうか?

A同じような過去があったが、1980年代にできたジンバブエ政府は、始め成功例と見られたが、破たんしていると思う。難民が出ているし、南アに働きに来ている。ジンバブエは、大統領がよい政治を行っていない。これが成功(南ア)と失敗(ジンバブエ)の対比になった。
 この他、沢山の質問が出たが丁寧に答えられた。

 モデレーターからは、“二つのテーマのNetworkingも南アフリカも、“より良い方向に向かって行く”ということで共通点を発見した“と、締めくくられた。

アンケート回収17枚 男性4 名 女性13 名。 20代3名、30代1名、40代6名、50代2名、60代3名、70代2名
 



主 催  横浜市青葉交流ラウンジ